おやじへの不満

 おやじがエンディングノートとか終活ノートを書かずに、ぽっくり逝ってしまったので、今私が事故って死んだら兄貴や猫どもが困るな~と、エンディングノートを書こうかなというネタで書き始めたのですが、おやじへの不満ばっか書いていたので、題名を変更w

 おやじが永眠して5日が経過しますが、火葬場でお骨と対面したときに、少々の寂しさを感じましたが、泣くほどの悲しさというか、ウルッともしてないというのが現状です。

 一人暮らしをして25年以上経っていますし、実家に帰るのは年に数回、帰っても半日で帰ることも多かったので、なんというか、もともと家族愛?というのが薄いんですよね私。

 おやじに対しては、嫌いというか、相いれない部分が多数あったんですよね。

 昨日の記事にも書きましたが、超亭主関白で、おふくろに家政婦というか奴隷のような口調で話している点や、口を煩く出すだけで全く行動しない(特に自治体の集まりとか、母に行かせておいて、後からグチグチ文句を言って、もう一回組長のところに行って来いとか・・・お前が行けば早いんじゃんと毎回思ってました)、自分の意見を突き通し、母や兄、私の話を右から左に聞き流すとか。

 なので、おやじとの良い思い出、楽しかった事ってなんだろうと、思い出そうとしても

 ・幼稚園か、小学校低学年の頃に、畳の部屋で腕枕で昼寝した覚えがある。
 ・小学生のころに、ハゼ釣り数回、防波堤での釣り大会、尾鷲で船釣りをした。

 ・・・・ぐらいか。

 泥酔しておふくろに暴力振るったり、ギャンブルで借金背負ったりはしてないので、世間的には良いお父さんなのですが、いかせん、直ぐに思い出すのはネガティブな事ばかりw

 一番最後に私が切れたというか、糞おやじと思ったのは、高校入試の合格発表の封筒をおやじが先に開封して、合格していたぞ!と言ってきたときに、「それ、普通俺より先に開けるか?」と少々切れ気味に言ったら

 「高校の入学金を払うのはお父さんだから、開封して当然だろうが!!!!」

 と逆に切れられたことですね。一言ぐらい、「おー悪い、気になって開けてしまった」とか軽く謝ってくれればいいのにね。なんでそこまで激怒するんだという切れっぷりで、それ以降、おやじと笑いあうような会話が一切なくなったような気がします。

 でまあ、それ以前から、盆正月に家族ですき焼きするのが定番でしたが、私が中学生の頃からも、家族全員で笑いあうとか、楽しい話題で盛り上がるとか、そんなのとは無縁なすき焼きなんですよね~。

 なんというか、固定観念で盆正月はすき焼きをするもんだというのが一番大事で、家族と楽しい食事をするという概念を持ってないのではという感じかな。すき焼きの提案や予算は出すけど、あとはお前らで準備して、楽しみな!という感じ。

 そもそもオヤジが明るい話題を楽しそうに喋っていることがほぼ無かったんですよね。ネガティブなそれも何度も聞かされている内容で、ハイハイそうですね~としか返せないことしか言ってこないし。聞かれるのは成績とか仕事はとかばかり。

 あと、二言目には世間体関係とか

 心配してくれているのは感じるのですが、「ダメな所」は指摘してくるのに、「良い所」を全く褒めてこないので、毎度毎度食事の場が悪くなるというイメージなんですよね~。

 兄貴が高校生になると、食事の度に、兄と意見の衝突していたし。

 というか、食事の時に、「無駄な話をするな」「しゃべってないで早く食べろ」「TVや本を見ながら食べるな」と小学生の頃から言われていた気がします。あ~、高校生のころに友達と長話(30分も経ってない)で盛り上がっている最中に、友達にも聞こえる声の大きさで、「男が長話するな、早く電話を切れよ」みたいなことを何度か言われたか。

 あれか、家族を不愉快にするのが特技かというぐらい、自己主張が強かったんだろうね。

 TVを見るなとか、ファミコンをするなとかまでは言われなかったけど、「アニメ」や「バラエティ番組」はかなり毛嫌いしていたので、ご飯食べた後の家族団欒というのもほぼ無く・・・

 ぶっちゃけ、私が独身貴族になった原因の半分は育った家庭環境でしょうな。現状の猫2匹との一人暮らしがとても気楽で落ち着いていますので。

 残りの半分は、私の恋愛下手と給料の少なさとかですね。とはいえ、話下手も家庭環境がかなり影響していると思うからな~。

 私立の理系大学の学費を払ってもらったし、自動車学校の費用も払ってもらったし、最近では新築祝いでお庭の外構工事代として祝い金も出してくれたし、

 私自体も、ちゃんとした会社に勤めて、従業員40人程度の小さな会社ですが、工場長という肩書になれましたので、

 おやじには、ちゃんと育ててくれてありがとう、と感謝はしていますが、その感謝の気持ちが半減するほど不満もあるし、やはり家族愛(おやじ愛)というのが無いんですよね。

 色んな所にドライブとか外食とか、温泉とか、家族旅行は連れて行ってもらいましたので、おやじなりには家族の絆というか、家族サービスを頑張っていたとは思うのですが、結果的には「旅行をする」というのが目的になっていたのかなと。

 兄や私と、「どうやったら楽しい会話ができるのか?」と悩んでいたかもしれませんが、もうそれは聞けないな~と思うと、やはりちょっとは寂しくなるな~。

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